母の日とボルボ
自分が保育園に通ってたころの話。
母と手を繋いで、大きな陸橋を渡って通うのが日課だった。自分自身の一番古いの記憶も、この陸橋を母と歩いている姿だ。
その陸橋は夏になると蝉の声の大合唱だった、アスファルトに音が反射するのか、小さい頃の自分には余計に大きく聞こえていたのかもしれない。
車も通れる陸橋で、大きいトラックなんかが通ると母が手を強く引いてくれた。小さい頃から車好きで、車が通ると、かけっこして追いかけてしまう子供だったから。今考えると随分苦労をかけたと思う。
あれから25回目の夏が過ぎた。
社会人になって、実家を出て、生意気にも自分の車を買うこともできた。もうちょっと早ければ、母にも運転させてやりたかったのだが。足を悪くしてから、後部座席にしか乗らなくなった。程よく包まれてる感じが好きらしい。
いま、母と2人で陸橋を渡るときは、もっぱらこのボルボになった。
月に1回ほど、当時通った保育園の先の病院まで送り迎えをする時に、同じ場所を通る。見慣れた街の、ほんの短い距離のドライブ。強く手を引いてくれた母は、年老いて後部座席に座っている。
当時はあんなに大きく見えたこの陸橋も、今となっては大したことない。アクセルを踏めば、ほんの数十秒で終わってしまう。蝉の大合唱も、ウィンドウを閉めていたら聞こえないのだ。
ふと、考える。自分の人生のうち、あと何回この陸橋を母と渡れるのか。実家を出て、離れて暮らすようになって、月に一度のこの短いドライブのたびに思う。
今年も母の日が過ぎた、26回目の夏がもうすぐそこまで来ている。
人生はあまりにも短い。
今週のお題「おかあさん」